◇◇◇◇◇世界のはじまり◇◇◇◇◇

(1)人類のはじまり
・・・猿人(エンジン) ⇒直立二足歩行⇒アウストラロピテクス[700~600万年前]
・・・原人(ゲンジン)⇒道具・火の使用⇒ジャワ原人、北京原人[200万年前]
・・・新人(シンジン)⇒打製石器を使用⇒クロマニョン人[20万年前]

(2)4大文明のはじまり[紀元前3000~1500年]
・・・中国文明 ⇒黄河⇒≪甲骨文字(コウコツモジ)≫
・・・インダス文明⇒インダス川⇒≪絵文字≫
・・・エジプト文明⇒ナイル川⇒≪象形文字・太陽暦≫
・・・メソポタミア文明⇒チグリス・ユーフラテス川⇒≪くさび形文字≫

(3)道具のはじまり
・・・旧石器時代打製石器でけものをとり、魚や草木を採取
・・・新石器時代磨製石器(マセイ)の使用、農耕・牧畜が始まる[1万年前]

(4)三大宗教のはじまり
・・・仏教シャカ[前500年ごろ]
・・・キリスト教イエス・キリスト[紀元の始まり]
・・・イスラム教ムハンマド[7世紀]
◇◇◇◇◇日本のはじまり◇◇◇◇◇

(1)旧石器時代から日本に人がいた
・・・証拠⇒旧石器時代(氷河期)の地層から石おのなどが発見された。
→群馬県の岩宿遺跡(イワジュクイセキ)

(2)日本列島の形成
・・・日本列島が大陸から分離して成立した[約1万年前]

(3)縄文時代(ジョウモンジダイ)[~紀元前三世紀]
・・・くらし⇒竪穴住居(タテアナ)にすみ、狩猟や採収(魚貝,果実)でくらした。
・・・道具⇒縄目(ナワメ)模様のついた縄文土器を使っていた。
・・・遺物⇒土偶(魔よけなど)、大森貝塚(オオモリカイズカ){東京都}
・・・遺跡⇒三内丸山遺跡(サンナイマルヤマ){青森県}

(4)弥生時代(ヤヨイジダイ)[紀元前三世紀~]
・・・くらし⇒朝鮮半島から稲作が伝えられた。
→穀物をたくわえ定住する生活が始まる。
・・・道具⇒うすくて実用的な弥生土器や、鉄器、青銅器が使われた。
・・・遺物⇒湿気をふせぐ倉庫→高床倉庫、祭の道具→銅鐸(ドウタク)、
・・・遺跡⇒登呂遺跡(トロ){静岡県}、吉野ヶ里遺跡(ヨシノガリ){佐賀県}
◇◇◇◇◇国家のはじまり◇◇◇◇◇

(1)弥生時代(ヤヨイジダイ)[紀元前三世紀~]
・・・朝鮮半島から稲作が伝えられ、食物をたくわえ定住するようになる。
→やがて貧富、身分の差が出はじめると、支配者があらわれ、
→集団が大きくなり「小国」に拡大していった。

(2)小国のはじまり[紀元前後]
・・・日本は「倭(ワ)」とよばれ、紀元前後には100あまりの小国があった。
・・・小国「倭の奴国(ナコク)」が漢に使いをおくり、
→漢の皇帝から金印を授かった[57年]
・・・倭の邪馬台国(ヤマタイコク)の女王「卑弥呼(ヒミコ)」が魏(ギ)に使いを送った。
→『魏志倭人伝』に書かれている[239年]

(3)古墳(大和)時代[3世紀後半~6世紀]
・・・権力者のシンボルとして、土を盛り上げた建造物(古墳)が作られた。
前方後円墳大仙古墳(ダイセン)』→周りから出土品『埴輪(ハニワ)』
・・・奈良県で大王(オオキミ)を中心に連合して大和政権ができ、
→全国統一がはじまった。≪国家のはじまり≫
・・・渡来人(トライニン)/により大陸文化が伝えられた(漢字,仏教,儒教)。
◇◇◇◇◇律令国家のはじまり◇◇◇◇◇

(1)聖徳太子の政治(ショウトクタイシ)[593年~]
・・・推古天皇(スイコ)の摂政となり、蘇我馬子らと天皇中心の政治を始める。
→家柄によらず有能な人を役人にする冠位十二階(カンイ)の制度を定めた。
→役人としての心得を示した、十七条の憲法を定めた。
→中国の隋(ズイ)に小野妹子(オノノイモコ)を送った。→遣隋使(ケンズイシ)
→仏教を広めるため法隆寺(ホウリュウジ)を建てた。⇒飛鳥文化(アスカ)

(2)大化の改新[645年]
・・・中大兄皇子(ナカノオオエノオウジ)らが蘇我氏(ソガシ)をたおし、政治改革を進めた。
→土地・人民を国のものとして天皇が支配する制度⇒『公地・公民』。
→朝鮮の百済に応援を送ったが敗れる⇒『白村江の戦い(ハクスキノエ)』
→その後新羅(シルラ)が朝鮮を統一した。

(3)壬申の乱[672年]
・・・天智天皇(テンジ)のあとつぎをめぐる争いで天武天皇(テンム)が即位した。

(4)律令政治のはじまり
・・・大宝律令(タイホウリツリョウ)が制定され本格的な律令政治が始まる[701年]。
→6歳以上の男女に口分田をあたえ、死ねばかえす法⇒班田収授法(ハンデンシュウジュ)
→その一方で租・庸・調の重い税をかす。(米・布・地方の特産品を収める)
◇◇◇◇◇奈良時代◇◇◇◇◇

(1)奈良時代のはじまり
・・・唐の都「長安(チョウアン)」にならって、奈良の平城京に都を移した。[710年]

(2)聖武天皇(ショウム)の政治
・・・仏教の力で国をおさめるため奈良に東大寺、地方に国分寺を作らせた。
・・・墾田永年私財法(コンデンエイネンシザイホウ)を制定した。[743年]
→重い税で農民が逃亡し田があれ、さらに人口も増加した。
→その結果、口分田が不足するようになった。
→このため、新たに開墾した土地は永久に私有を認た(墾田永年私財法)。
→この法で、貴族や寺院が逃亡した農民を使って開墾をし、私有地を増やしはじめた。 ⇒これが『荘園(ショウエン)』のはじまりとなる。
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(3)奈良時代の文化
・・・遣唐使(ケントウシ)が派遣され、唐と仏教の影響をうけたはなやかな文化。
⇒この文化を『天平文化(テンピョウ)』という。
→東大寺、正倉院(あぜくら造り)/。
→「唐の僧」鑑真(ガンジン)の来日→唐招提寺(トウショウダイジ)
→和歌集『万葉集(マンヨウシュウ)』、地理書『風土記(フドキ)』
→歴史書『古事記(コジキ)』、『日本書紀(ニホンショキ)』
→日本で初めて貨幣がつくられた『和同開珎(ワドウカイホウ)』
◇◇◇◇◇平安時代≪初期~中期≫◇◇◇◇◇

(1)桓武天皇(カンム)の政治
・・・貴族や僧侶の争いが激しくなり京都の平安京に都を移し政治改革を始める。[794年]
・・・坂上田村麻呂征夷大将軍(セイイタイショウグン)に任命し、東北地方の蝦夷(エゾ)の反乱をおさえた。
・・・奈良仏教に対抗するため、天台宗{最澄(サイチョウ)}、真言宗{空海(クウカイ)}をようごした。

(2)藤原氏の摂関政治(セッカン)
・・・藤原良房(ヨシフサ)が摂政になり[866年]、天皇が幼少の時は摂政(セッショウ)として、成人すると関白(カンパク)として政治の実権をにぎる、藤原氏による摂関政治が始まった。
・・・中国の内情が不安定のため遣唐使を停止した[894年]。⇒中国のが滅びた[907年]。
・・・藤原氏は私有地「荘園(ショウエン)」を拡大し、ますます権力を増した。
・・・藤原道長(ミチナガ)が[1016年]摂政になり、その子藤原頼通(ヨリミチ)の時代が藤原氏の全盛期。
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(3)平安時代の文化
・・・遣唐使(ケントウシ)の停止により、我が国独自の文化『国風文化(コクフウ)』がさかえた。
→藤原頼通が建てた建物『平等院鳳凰堂(ホウオウドウ)』、貴族のすまい『寝殿造(シンデンヅクリ)』
→漢字のへんやつくりや草書体から、日本固有の『かな文字』が生まれた。
紀貫之(キノツラユキ)『古今和歌集(コキンワカシュウ)』
紫式部源氏物語(フドキ)』、清少納言(セイショウナゴン)『枕草子(マクラノソウシ)』
◇◇◇◇◇武士のおこり≪平安中・後期≫◇◇◇◇◇

(1)武士のはじまり
・・・地方のみだれにより、地方の豪族が勢力を徐々に伸ばした。
→地方の豪族が中央の武官とむすびつき武士がおこり、武士が従者を従えた武士団がうまれた。 ⇒この時期に源氏や平氏がでてきた[10世紀]。
→武士は荘園の土地制度を利用し、開墾した土地を貴族・僧にあたえ、自分は荘官(ショウカン)となり勢力を伸ばした。
→関東では平将門(タイラノマサカド)が、瀬戸内では藤原純友(スミトモ)がそれぞれ乱をおこした。

(2)院政のおこり
・・・白河天皇は天皇の位を退き、上皇{白河上皇(シラカワジョウコウ)}となった後も政治を行った[1086]。 ⇒院政(インセイ)のはじまり。
・・・白河上皇は荘園の制度を保護したので、荘園は上皇に集まった。

(3) 平氏の台頭
・・・上皇と天皇の対立で京都で起こった内乱「保元の乱(ホウゲン)」に武士も加わり、武士が政治にかかわるようになる。
・・・平治の乱(ヘイジ)で源氏に勝った平清盛(タイラノキヨモリ)は武士として初めて太政大臣になり、政治の実権をにぎった[1167]。
・・・平清盛の政治は摂関政治をまねたものとなる。
・・・平清盛は中国の宋と「日宋貿易(ニッソウ)」をはじめる。
・・・平氏は壇ノ浦の戦い(ダンノウラ)に敗れ、滅亡する。[1185]
◇◇◇◇◇鎌倉時代◇◇◇◇◇

(1)源氏の時代
・・・源義経(ヨシツネ)が壇ノ浦の戦い(ダンノウラ)で平氏を滅ぼした[1185]。
・・・朝廷に守護・地頭の設置の設置を認めさせ、後家人を任命[1185]。
 →守護(シュゴ)は国ごとにおかれ、御家人の統率や犯罪のとりしまりを行った。
 →地頭(ジトウ)は荘園ごとにおかれ、年貢(税)の取り立てなどを行った。
・・・源頼朝(ヨリトモ)が征夷大将軍(セイイタイショウグン)に命じられた。[1192]
 →鎌倉(神奈川県)に幕府(バクフ)を開く。
 →将軍と御家人が御恩(ゴオン){守護や地頭に任じられることに対する恩}と奉公(ホウコウ){いざというとき戦う}で結ばれた主従関係を作る⇒封建制度(ホウケンセイド)の始まり

(2)北条氏の時代
・・・執権政治⇒源氏は三代で滅び、有力な御家人であった北条氏(ホウジョウシ)が執権(シッケン)という役職で権力を握る。
・・・承久の乱(ジョウキュウノラン)後鳥羽上皇(ゴトバジョウコウ)が乱をおこしたが、幕府の大軍に敗れる
→この乱後、朝廷や西国の武士を監視するため六波羅探題(ロクハラタンダイ)を京都においた。
・・・最初の武家法⇒北条泰時(ヤストキ)は武士のならわしをまとめた御成敗式目(ゴセイバイシキモク)を定めた。[1232]
・・・元寇(ゲンコウ)⇒フビライ=ハンが国号を元とし、服属を要求してきた。→北条時宗(トキムネ)が拒否したため→文永の役(ブンエイノエキ)弘安の役(コウアンノエキ)が起きた。
・・・永仁の徳政令(エイニンノトクセイレイ)⇒元寇などで生活が苦しくなり御家人の不満が高まり、御家人を救うため、借金を帳消しにする令
・・・徳政令も効果なく1333年鎌倉幕府は後醍醐天皇と足利尊氏により滅びる。
◇◇◇◇◇鎌倉文化◇◇◇◇◇

(1)鎌倉文化
・・・中国の宋(ソウ)の影響をうけ、素朴で力強い武家文化
 →東大寺南大門とそこにある金剛力士像(コンゴウリキシゾウ)→運慶(ウンケイ)の作
 →軍記物として『平家物語』があり琵琶法師の語りで伝えられた。
 →随筆として吉田兼好の『徒然草(ツレヅレグサ)』、鴨長明(カモノチョウメイ)の『方丈記(ホウジョウキ)』
 →和歌集として『新古今和歌集

(2)鎌倉時代の宗教
・・・鎌倉仏教はわかりやすく、信仰しやすかったので、教えが急速に広まった。
 →法然(ホウネン)の『浄土宗(ジョウドシュウ)』、その弟子の親鸞(シンラン)の『浄土真宗(ジョウドシンシュウ)』
 →一遍(イッペン)の『時宗(ジシュウ)』、日蓮(ニチレン)の『日蓮宗(ニチレンシュウ)』
 →禅宗として栄西(エイサイ)の『臨済宗(リンザイシュウ)』、道元(ドウゲン)の『曹洞宗(ソウトウシュウ)』

(3)鎌倉時代の農業など
・・・米の裏作として米を作る二毛作が行われるようになった。
・・・牛馬が工作を行い、鉄製の農具も普及した。
・・・寺社の門前などで定期市が開かれるようになった。